西の魔女が死んだ @30周年




💬『西の魔女が死んだ』は1994年に刊行された小説で、梨木香歩さんのデビュー作であり代表作です。刊行から30年経った現在でも多くの読者に読み続けられおり、名作の一つに挙げられています。文芸誌「ダ・ヴィンチ」2009年11月号によると累計で189.9万部、読売新聞(2011年2月14日夕刊)によると196.4万部、直近の部数は新潮社のプレスリリース(2022年5月25日)によると、260万部を超えたようです。






西の魔女が死んだ

📱電子書籍(作品集版):新潮社(2022年5月27日配信)
📱電子書籍(新潮文庫版):新潮社(2022年5月27日配信)
単行本:「西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集」新潮社(2017年4月25日発行)
文庫本:新潮社(2001年8月1日発行)
単行本:小学館(1996年4月20日発行)
単行本:楡出版(1994年4月19日発行)

ただシンプルに素朴に、真摯に生きる

中学に進んでまもなく、まいは学校へ行けなくなった。季節が初夏へ移り変わるひと月あまりを田舎のおばあちゃんのもとで過ごすことになる。英国から渡ってきたおばあちゃんによると、魔女の家系だという。まいは魔女修行にチャレンジすることになる。


キュウリグサ
“ヒメワスレナグサ”はまいが呼んだ愛称

この小さな青い花はなんて愛らしいのだろう。まるで存在がきらきら光っているようだ。まいはその花をそっと両手のひらで包むようにした。


キンレンカ
別名のナスタチウムと呼ぶ方がポピュラー


キンレンカのサンドイッチ
ぴりりと青臭い味がする


ワイルドストロベリー


手作りいちごジャム


イングリッシュ・ラベンダー


ペパーミント


コモンセージ


クサノオウ


朴の木(ホオノキ)
高木で花は上を向いて咲くので見えにくい


銀龍草(ギンリョウソウ)
山の植物のようなイメージがあるが平地でも見られる


関連作品

渡りの一日

文庫本:「西の魔女が死んだ」新潮社(2001年8月1日発行)
初出:「日本児童文学」1996年1月号 日本児童文学者協会編 文溪堂(1996年1月発行)

いつか、私たちも行くだろう。

まいはショウコといっしょに杖指山に登ってサシバの渡りを見ようとしていたが、ひょんなことからサッカーの練習試合にユニフォームを持って行くことになってしまう。


ブラッキーの話

単行本:「西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集」新潮社(2017年4月25日発行)
初出:「ひろがる言葉 小学国語6上」教育出版(2011年1月発行)

わたしはもうだいじょうぶ。
もうおまえの好きなところへおゆき。

ブラッキーはママにとって大切な犬だった。ある夏の晩、まいがぞくぞくっとする話を聞きたいとママにお願いすると、昔飼っていた犬のブラッキーの話をしてくれた。まいの幼い頃に守ってくれたり、ママが学校へ通っていた頃は歩いて30分かかるバス停まで迎えに来てくれたという。

🎨教科書の挿絵(木内達朗)


冬の午後

単行本:「西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集」新潮社(2017年4月25日発行)
初出:「ネバーランド」Vol.11 てらいんく(2009年4月発行)

こんなことは、私の致命傷にはならない。

小学校最後の冬休み、まいはおばあちゃんの家へ泊まりがけで遊びに来ていた。おばあちゃんが留守の時に、庭の鶏の様子を見ていたまいは、雄鳥が雌鳥の見つけた虫を横取りしてしまうことに腹を立てて、箒の柄でつついてやめさせようとしたが、逆に雄鳥に飛びかかってこられてしまい、とても怖い思いをする。そのことをおばあちゃんに話し、攻撃されたことが忘れられなくて、自分は傷つきやすいと打ち明ける。


かまどに小枝を

単行本:「西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集」新潮社(2017年4月25日発行)

おばあちゃんの祈り

この空の下で、私の娘も、その娘も、今、生きている。新しい環境の中で。新しい道を選ぶこと、さらにその道を進むということは、体力と気力がバランスをとっていなければ、なかなか簡単にいくものではない。今はまだアンバランスだとわかっていても、他にどうしようもなく、進まなければならないときがある。時の流れは容赦がない。
それでも祈ろう。
彼女たちがこの試練を乗り越えていけるように。


名前の森へ、腕まくりして

「びわの実ノート」第9号 びわの実ノート編集室(1999年11月発行)

これからどれだけの名前が、自分の一生を通り過ぎていくだろう

転校したまいは、ショウコと吉富君の二人と同じ班のメンバーになった。二人ともクラスの中では特異な存在だが、まいはまだ知らない。一学期の終了式の後、ショウコとまいは夏休みの宿題に出された共同レポートのテーマを探すために杖指山野鳥の森公園に立ち寄った。まいが鳥の名前をよく知っているので、野鳥観察をしようということになったのだ。

転校直後のまいがショウコと知り合う話


お姫様はのぞく

未発表(存在は確認されている)





学校に行きたくない子どもたちへのエール

 『西の魔女が死んだ』という小説は、学校に行けなくなった女の子の話です。もうすぐ新学期が始まりますが、もしも始業式に死にたいほど学校へ行きたくない小学生・中学生・高校生がいたら、「死ぬくらいなら学校へ行かないでください」とお願いしたいです。その小説の中に、
 自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。(略)シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。
という言葉が出てきます。繊細であること、気が弱いこと、気が小さいことは、これから先、もしかしたら私たちが大切にしていかなければならない資質のような気がしています。小心者であるからこそ見える世界があるし、気付けることがある。『西の魔女が死んだ』のまいちゃんの世界もそうです。
 スピードを出している車からでは見えないものがある。歩いているからこそ気付ける野の花があるし、露の滴が光っていることも見える。くよくよ悩んでしまう人は、要するにいろんなことに気付ける人で、それは才能なんです。「鈍感ではない」ということです。これからはそういう才能を大切にしていく世の中になればいいと思っていますし、この本でもそういうことを一貫して語っていると思います。

2019年8月25日、NHKラジオに出演した梨木香歩さんのインタビューより


「自分の好きな場所」を探す

 煮詰まった人間関係は、当人がどんなにがんばっても容易なことでは動かない。よく、自分が変われば他人も変わる、というけれど、今の世の中ではそういう法則も働かないことがある。あまりにも複雑な要因が絡んでいるから。
「シロクマはハワイで生きる必要はない」というのは、私がこの本を執筆していた当時、人間関係にがんじがらめになった子どもたちと分かち合いたい言葉だった。もう、だめだ、と思ったら逃げること。そして「自分の好きな場所」を探す。ちょっとがんばれば、そこが自分の好きな場所になりそう、というときは、骨身を惜しまず努力する。逃げることは恥ではない。津波が襲って来るとき、全力を尽くして逃げたからと言って、誰がそれを卑怯とののしるだろうか。
 逃げ足の速さは生きる力である。
 津波の大きさを直感するのも、生きる本能の強さである。
 いつか自分の全力を出して立ち向かえる津波の大きさが、正しくつかめるときが来るだろう。
 そのときは、逃げない。

エッセイ「不思議な羅針盤」所収『西の魔女が死んだ』の頃より


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